預流道果になった人の残っている苦(dukkha)はあとどれくらいあるのか?[次第説法13 四聖諦⑤]
↑この続きです。 一旦、四聖諦を現観して、洞察して、四聖諦を了解している人に、あと残っている苦はどれくらいなのか?というパーリ語経典のご紹介です。 相応部経典 第二 現観相応 P497 〜から引用 片山一良訳 大蔵出版 Ⅰ 爪先経 (Nakhasikhā-sutta) (74)このように私は聞... 続きをみる
四聖諦のブログ記事
四聖諦(ムラゴンブログ全体)預流道果になった人の残っている苦(dukkha)はあとどれくらいあるのか?[次第説法13 四聖諦⑤]
↑この続きです。 一旦、四聖諦を現観して、洞察して、四聖諦を了解している人に、あと残っている苦はどれくらいなのか?というパーリ語経典のご紹介です。 相応部経典 第二 現観相応 P497 〜から引用 片山一良訳 大蔵出版 Ⅰ 爪先経 (Nakhasikhā-sutta) (74)このように私は聞... 続きをみる
預流道果(一番最初の聖者に仲間入り)に到達するとその後その人間はどうなるのか?ゴータマ・ブッダが比丘達に説く。[次第説法12 四聖諦④]
↑ 前々回の補足になりますが、如何に四聖諦の理解が最も大事か?「他の多数の仏教経典や仏教知識を知っていても、四聖諦を知って理解していなければ意味がない」とゴータマ・ブッダは主張されているようですが、 次第説法の最後の項目である、その四聖諦を正しい智慧で、在家一般人も出家修行僧も見るならば、その人間... 続きをみる
ゴータマ・ブッダ曰く「四聖諦を理解する事とは、沙門バラモン中の沙門バラモンである。」〜次第説法11[次第説法 四聖諦③]
前回の補足です。 前回「いくら他の仏教知識を学び、知っていても 四聖諦を知って本当に理解していないならば、それは意味が無い。」的な雲や雨の喩えだったと思うのですが、 では歴史上の人物であったとされるゴータマ・ブッダは四聖諦の重要度を他の経典ではどう話されていたのでしょうか? ( 原始仏典 如是語経... 続きをみる
ゴータマ・ブッダの主張「他の多数の仏教知識を知っていても、四聖諦を知って理解していなければ意味はない。」次第説法10[次第説法 四聖諦②]
↑ 前回の補足なりますが、今回は如何に四聖諦の理解が最も大事か?「他の多数の仏教経典や仏教知識を知っていても、四聖諦を知って理解していなければ意味がない」と言うゴータマ・ブッダの説法をご紹介します。 手元に古い訳文しかないので、すみませんがそれを引用致します。 (南伝大蔵経 増支部経典 第四集 第... 続きをみる
次第説法で聖者の仲間入りするということは、最終的に四聖諦を智慧で見、理解することのようです。次第説法8[次第説法 概要⑧ 四聖諦①]
↑この補足ですが、「一方に坐ったポッカラサーティ・バラモンに、世尊は、順々の話[次第説法]をされた。 すなわち、布施の話、戒の話、天の話、もろもろの欲望における危難、卑劣・汚れを、離欲における功徳を説明された。 世尊は、ポッカラサーティ・バラモンが従順な心になり、柔和な心になり、 障りのない心にな... 続きをみる