インド最初期仏教への誘い

現存するパーリ語仏教経典からの引用による仏教紹介。

ゴータマ・ブッダが説く「感受(感覚)の危難(欠点)とは何か?」四聖諦を理解するために。「苦Dukkhaドゥッカ」の意味とは?大苦蘊経 PART15[次第説法48 感受(感覚)の危難(欠点)]


⇑前回の続きです。感受(感覚)の危難(欠点)について


パーリ語仏典 中部経典第13 大苦蘊経(mahaa dukkha khanda sutta) 片山一良訳 大蔵出版 P247~から引用



感受の危難aadiinava
つぎに、比丘たちよ、もろもろの感受の危難とは何か。
比丘たちよ、感受は無常であり、苦であり、壊滅する性質のものです。それゆえこれが感受の危難です。
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感受、感覚のここが問題だと思われます。


「楽しい感覚」もまた例外なく必ず、終わりを告げるということですね。
禅定という感覚の境地もいくら素晴らしいものであっても、最後は必ず終わりを告げるという事のようです。
素晴らしい恋人とのバラ色の出会い、ときめき、一緒の人生も、健康も体力も体調の良さも一時のことであり、萎れ枯れ、最後には同様に必ず終わりを告げるという事のようです。


それが「人間が思う、憧れるところの素晴らしい」感受(感覚)の、必ず最後に起こる危難(欠点)だとゴータマ・ブッダは述べているようです。


次回はその感受(感覚)の出離についてです。

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