次第説法で聖者の仲間入りするということは、最終的に四聖諦を智慧で見、理解することのようです。次第説法8[次第説法 概要⑧ 四聖諦①]
↑この補足ですが、「一方に坐ったポッカラサーティ・バラモンに、世尊は、順々の話[次第説法]をされた。 すなわち、布施の話、戒の話、天の話、もろもろの欲望における危難、卑劣・汚れを、離欲における功徳を説明された。 世尊は、ポッカラサーティ・バラモンが従順な心になり、柔和な心になり、 障りのない心にな... 続きをみる
次第説法で聖者の仲間入りするということは、最終的に四聖諦を智慧で見、理解することのようです。次第説法8[次第説法 概要⑧ 四聖諦①]
↑この補足ですが、「一方に坐ったポッカラサーティ・バラモンに、世尊は、順々の話[次第説法]をされた。 すなわち、布施の話、戒の話、天の話、もろもろの欲望における危難、卑劣・汚れを、離欲における功徳を説明された。 世尊は、ポッカラサーティ・バラモンが従順な心になり、柔和な心になり、 障りのない心にな... 続きをみる
次第説法の具体的内容はパーリ語経典には記述が無い? 次第説法7[次第説法 概要その⑦]
この続きです。 〜『一方に坐ったポッカラサーティ・バラモンに、世尊は、順々の話[次第説法]をされた。 すなわち、布施の話、戒の話、天の話、もろもろの欲望における危難、卑劣・汚れを、離欲における功徳を説明された。 世尊は、ポッカラサーティ・バラモンが従順な心になり、柔和な心になり、 障りのない心にな... 続きをみる
在家仏教の研究 浪花宣明③ 在家者に次第説法をする訳 次第説法6[次第説法 概要その⑥]
↑前回の続きです。 (在家仏教の研究 浪花宣明 P9から引用) 出家者は涅槃という高速な理想に目醒め、涅槃の獲得のために現世の一切の欲楽を捨て去った者である。 これに対して在家者はそのような高遠な理想に目醒めていない。 彼らは善事をなせば生天の楽果を得、 悪事をなせば悪趣に堕すという業報の思想の中... 続きをみる
在家仏教の研究 浪花宣明② 在家者と出家者との教説の違い 次第説法5[次第説法 概要その⑤]
↑前回の続きです。 (在家仏教の研究 浪花宣明 P8から引用) それでは何故に在家者に対する教説と出家者に対する教説とが区別されていたのであろうか。 その理由は教説を聞く者の側にあったのであろう。 原始経典の中では、在家者は諸欲を享受する者であること、 あるいは在家の生活 は穢れが多く、結縛におお... 続きをみる
在家仏教の研究 浪花宣明① 次第説法4[次第説法 概要その④]
(何故か紛失のため再掲。すみません。) 釈尊在世当時のインドでの、在家、一般人の仏教の学び方について別の書籍から引用しての考察です。 (在家仏教の研究 浪花宣明(註) P7から引用) 「原始経典では出家者に対する教説と在家者に対する教説が区別されていたことは確かである。 『中部経典』一四三経による... 続きをみる