インド最初期仏教への誘い

現存するパーリ語仏教経典からの引用による仏教紹介。

 ゴータマ・ブッダが説く「わが教えにおいて禅定は真髄ではない。」アッサジ経 part1 相応部経典から 番外編[禅定について]


⇑前回の続きです。
今回から八正道の中に、(禅定、正定は入っている、欲を離れるためには必要であるが、~前回の話)‘’禅定は仏教の真髄ではない‘’というお経をご紹介したいと思います。


アッサジ経 (Assaji-sutta)
パーリ仏典 第三期5 相応部 蘊篇 蘊相応第九 長老の章 大蔵出版p428~ 


このように私は聞いた―
あるとき、世尊は、ラージャガハに近い、竹林のカランダカニヴアーバに住んでおられた。
ちょうどそのとき、尊者アッサジは、カッサパカ僧院に住み、病にかかり、苦しみ、重症であった。


さて、尊者アッサジは、看護者たちに話しかけた。


「さあ、友たちよ、あなたがたは世尊がおられるところへ行ってください。行って、私の言葉でもって、 世尊の御足に額づき、礼拝してほしい。『尊師よ、アッサジ比丘は病にかかり、苦しみ、重症です。かれは、世尊の御足に額づき、礼拝いたします』 と。


そしてまた、このように申し上げてほしい。
『尊師よ、どうか世尊は、アッサジ比丘がいるところへ、憐れみを垂れて、お近づきくださいますように』と」


「わかりました、友よ」と、その比丘たちは尊者アッサジに応え、世尊がおられるところへ近づいて行った。行って、 世尊を礼拝し、一方に坐った。
一方に坐ったその比丘たちは、世尊にこう申し上げた。


「尊師よ、アッサジ比丘は病にかかり、苦しみ、重症です。 かれ
は、世尊の御足に額づき、礼拝いたします。そしてまた、このよう
に申し上げます。


『尊師よ、どうか世尊は、アッサジ比丘がいるところへ、憐れみを垂れて、お近づきくださいますように』と」。
世尊は、沈黙により、同意された。


さて、世尊は、夕刻時に、独坐から立ち上がり、 尊者アッサジがいるところへ近づいて行かれた。
仏の見舞いと説法


尊者アッサジは、世尊が遠くから来られるのを見た。 見て、 床座の上で全身を動かした。
そこで、世尊は、尊者アッサジにこう言われた。
「やめなさい、アッサジよ。そなたは床座の上で全身を動かして
はいけません。これらの座が用意されています。私はそこに坐りま
す」


世尊は用意されている座に坐られた。 坐ると、世尊は、尊者アッ
サジにこう言われた。


「アッサジよ、そなたは大丈夫ですか。 生きて行けますか。 苦痛は減退していますか、増進していませんか。これらの減退は認められますか、増進は認められませんか」と。


「尊師よ、私は大丈夫でありません。生きて行けません。私の苦痛は激しく増進し、減退しておりません。 これらの増進は認められ、減退は認められません」と。


「アッサジよ、そなたには何らかの不行儀がありますか。 何らかの後悔がありますか」と。


「尊師よ、確かに私には、少なからず不行儀があり、少なからず後悔があります」と。


「アッサジよ、それでは、自己が、戒について、 そなたを責める
ことはないのですか」と。


「尊師よ、自己が、戒について、私を責めることはありません」と。


「アッサジよ、もし自己が、戒について、そなたを責めることが
なければ、そなたにはどのような不行儀があり、どのような後悔があるのですか」と。


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次回は、アッサジ比丘の語る「禅定を獲得できなかったことへの不行儀と後悔を釈尊へ告白する場面」に続きます。。

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