インド最初期仏教への誘い

現存するパーリ語仏教経典からの引用による仏教紹介。

布施について シガーラ経 六方礼経[次第説法15 布施②]


https://cattaariariyasaccaani.muragon.com/entry/3.html

「アーナンダよ、他の者に法を説くことは容易でありません アーナンダよ、他の者に法を説こうとするならば、内に五法を確立して、他の者に法を説くべきです。
五とは何か?
①私は順々の話(次第説法)をしよう
②私は根拠を見てから話をしよう、
③私は憐れみによって話をしよう、
④私は利益を求めずに話をしよう、
⑤私は自他を害さずに話をしよう、
と。このように他の者に法を説くべきです」
https://cattaariariyasaccaani.muragon.com/entry/5.html
一方に坐ったポッカラサーティ・バラモンに、世尊は、順々の話[次第説法]をされた。すなわち、布施の話、戒の話、天の話、もろもろの欲望における危難、卑劣・汚れを、離欲における功徳を〜四聖諦を説き示された。

前回までこれらを踏まえての次第説法の導入部に当たる布施の話についての2回目です。


例えば、長部経典に在家一般人の為だけに説かれた処世訓的なシガーラ経(六方礼経)というのがあります。


その中で布施に関して抜き出してみますと
(シンガーラ経 長部パーリ仏典5 片山一良訳 大蔵出版P382
〈六方礼経〉南方仏教基本聖典 P45から引用)


北方=友人・知己
資産家の子よ、五の理由によって、善家の子は北方にあたる友人・知己に奉仕すべきです。(友人同僚を大切にすべきである。)


(1) 布施による。


(2)愛語による。


(3)利行による。


(4) 同事による。


(5) 正直による。


資産家の子よ、これら五の理由によって善家の子に奉仕された(大切にされた)北方にあたる友人・知己は、五の理由によって、善家の子を憐れみます。


(1) 酒に酔っているかれを介抱する。


(2) 酔っているかれの財を保護する。


(3) 恐れているかれの庇護者(ひごしゃ)〈かばいまもること〉になる。


(4) もろもろの災難(不運)に際して、見捨てない。また、


(5) かれの子孫を尊重する。✳注釈(仲間の息子、娘、孫、曾孫を尊重する、愛好する、我が子と同じような扱いとする。祝い事などの時は祝い事等を行う。)


資産家の子よ、これら五の理由によって善家の子に奉仕された北方である友人・知己は、これら五の理由によって、善家の子を憐れみます。


このようにして、かれには、この北方が保護され、安穏で、恐れのないものになります。


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
注釈✳


(2)愛語による。→親愛の語によって。


(3)利行による。→利他行による。


(4) 同事による。→協同による。
物事において同事なること。それぞれの人に対して、自分と同じにすること。


(5) 正直による。→正直によって。


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


この項目は友人知人に対してどう付き合うか?を説いたものです。いわゆる仏教用語で言いますと、 (4)までは四摂事(ししょうじ)と呼ばれるようです。


(3)利他行など、人の役に立つことをしたり


(4) 同事など他人に対して自分と、平等に接する、同じにする感じでしょうか。



以下まとめの偈文 部分引用


布施と愛語なるものと


この世における利行なるもの


またそれぞれに(それぞれの人に対して)ふさわしく


物事に対して同事なること


これらは世界の愛護(あいご)にて


進む車の楔(くさび)の如し(✳注


もしもこれらの愛護がなければ


母✳(注)は子から、あるいはまた


父は子から、尊敬も


あるいは供養も得られない


もろもろの賢者はこれらの愛護を

正しく観察するゆえに


彼らは偉大な者となり


称賛される者となる
---------------------------
進む車の楔(くさび)の如し(✳注)

〈車 (ratha)は楔(āni)があれば進み、なければ進まない。ちょうどそのように、これらの愛護 (sangaha 摂取) があれば、世界は活動し(vattati)、なければ活動しない。それゆえ以下のように言われている〉。


✳(注)もしも母がこれらの愛護を子のために行わなければ、子から尊敬や供養を得ることができない。


このように言われると、資産家の子シンガーラカは、世尊につぎのように申し上げた。


「尊師よ、すばらしいことです。 尊師よ、すばらしいことです。たとえば、尊師よ、倒れたものを起こすかのように、覆われたものを取り除くかのように


迷った者に道を教えるかのように、『眼の見える者たちは、もろもろのものを見るであろう』と、暗闇に燈火を掲げるかのように、まさにそのように、世尊は多くの方法で、法を説いてくださいました。 尊師よ、この私は、世尊に、また法に、


比丘僧に帰依いたします。今より以後、生涯、世尊は、私を帰依する信者として、お認めくださいますように」と。

×

非ログインユーザーとして返信する