インド最初期仏教への誘い

現存するパーリ語仏教経典からの引用による仏教紹介。

歴史上に存在されていたとするブッダは如何にご自分の教え(仏教)を在家一般人に教えたのか?現存最古層の経典群から探ってみる。次第説法1[次第説法 概要その①]



世の中には、様々な宗教があり、その中でも仏教にも初期から後期にかけて様々な教え、経典群が残って現存しています。


その中でも現上座仏教教団(スリランカ タイ ミャンマー等)が現在でも保持しておりますパーリ語で遺された聖典、経蔵からその教えをご紹介したいと思います。


基本的にパーリ語経典と言いましても、その遺されたお経の内容は、「比丘たちよ、」で始まるものが大半であり、それに比べて在家一般人に向けて説かれたお経は少ないものだと思われます。


釈尊在世当時の比丘、出家修行者、出家修行僧は財産、貨幣、社会的名誉、家族、夫婦恋愛関係等を全て捨てて、出家しており、大半のお経はその全人生を出家修行に賭けた者たちに呼びかけた教えとなっています。


しかしながら
今回は、ブッダ、釈尊その人がどのように特に『一般大衆』、在家にご自分の教えを説かれたのか?をご紹介したいと思います。



増支部経典第五集(片山一良訳)から


「アーナンダよ、他の者に法を説くことは容易でありません。


アーナンダよ、他の者に法を説こうとするならば、内に五法を確立して、他の者に法を説くべきです。


五とは何か?


①私は順々の話をしよう、


②私は根拠を見てから話をしよう、


③私は憐れみによって話をしよう、


④私は利益を求めずに話をしよう、


⑤私は自他を害さずに話をしよう、


と。このように他の者に法を説くべきです」


↓(片山一良 「ブッダのことば パーリ仏典入門」 大法輪閣 P403から引用)


第一の順々の話とは、「布施」(寛容)の話に続いて「戒」(慈愛)の話を、続いて「天」
(幸福)の話を、というように順々に語られる次第語をいう。


私は各経の語句や偈にふさわしい話をしよう、と心を
確立して話をすべきである、ということである。


第二はそれぞれの事柄(意味)のそれぞれの根拠を示して話をしよう、


第三は悩みを抱えている人を
その悩みから解放してあげようとの憐れみによって話をしよう、


第四は自分のために衣・食・住・薬という生活必需品の獲得を求めずに話をしよう、ということである。


第五は自分を誉めて他者を貶すという自賛毀他(じさんきた)などによって自他の徳を害することなく話をしよう、


このように心を確立して話をすべきである、ということである。


「そのような「話」として在家者一般に語られたものは、順々の話にある施・戒・天の「三論」、
あるいは施・戒・習の「三福業事」(功徳を積むための三種の行為)に関する話であった。


次回はその
「①私は順々の話をしよう」


いわゆる次第説法と言われるものの詳しい内容をパーリ語経典の中からご紹介したいと思います。

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