インド最初期仏教への誘い

現存するパーリ語仏教経典からの引用による仏教紹介。

在世時のブッダ釈尊その人が一般在家に直接ご自分の教え(仏教)を説いた代表的な方法。次第説法2[次第説法 概要 その②]





↑前回の続きです。


増支部経典第五集(片山一良訳)から


「アーナンダよ、他の者に法を説くことは容易でありません。


アーナンダよ、他の者に法を説こうとするならば、内に五法を確立して、他の者に法を説くべきです。


五とは何か?


①私は順々の話をしよう〜


今回はブッダ自らが法を説くに当たって、「するべき」という強調語(僕はまだこの部分のパーリ語原文と照らし合わせてチェックしてないのですが。)で語っておられる、


5つの内の1つであるこの「順々の話」いわゆる次第説法の具体的内容をパーリ語経典からご紹介したいと思います。


ブッダが、在家(ここでは当時インドの聖職者 バラモン)、一般大衆にどうご自分の教え、仏教を説いたのでしょうか?その代表的説法パターンです。


(片山一良訳 長部経典1 第3 アンバッタ経 P294 大蔵出版からの引用[ ]内は註釈書から補足)


そして、世尊にこう申しあげた。


「ゴータマ尊は、今日、比丘僧団とともに、私の食事をお受けくださいますように」と。


世尊は沈黙して、同意された。

さて、ポッカラサーティ・バラモンは、世尊が同意されたことを知り、世尊に時間をお告げした。

「ゴータマ尊よ、お時間です。食事が調いました」と。


さて、世尊は、午前のうちに、着衣し、鉢と衣を保ち、比丘僧団とともに、ポッカラサーティ・バラモンの住居へ近づいて行かれた。


行かれると、設けられた座にお坐りになった。


そこで、ポッカラサーティ・パラモンは世尊を、また青年たちは比丘僧団を、最上の硬食、軟食によって、手ずから、充分にふるまい、充分にもてなした。


そして、ポッカラサーティ・バラモンは、世尊が食べ終わり、鉢から手を離されると、別の低い座をとり、一方に坐った。


一方に坐ったポッカラサーティ・バラモンに、世尊は、順々の話[次第説法]をされた。


すなわち、布施の話、戒の話、天の話、もろもろの欲望における危難、卑劣・汚れを、離欲における功徳を説明された。


世尊は、ポッカラサーティ・バラモンが従順な心になり、柔和な心になり、


障りのない心になり、向上する心になり、
浄らかな心になったことをお知りになると


もろもろの仏が自ら称賛する法の教えをすなわち、


苦・集・滅・道 


[苦 ・苦の生起・苦の滅尽・苦の滅尽にいたる行道という四聖諦]


を説き示された。


すると、ちょうど染みのない清浄な布が完全に染料を受けとるように、


ポッカラサーティ・パラモンには、即座に、



「生じる性質のものはすべて滅する性質のものである」という、


塵を離れ垢を離れた法の眼✽1が生じた。 

さて、
法を見、法を得、法を知り、
法を深く解し、疑いを渡り、疑惑を離れ、


師の教えにおいて、自信を得、他に依ることがない、ポッカラサーティ・バラモンは、世尊にこう申し上げた。


「ゴータマ尊よ、すばらしいことです。ゴータマ尊よ、すばらしいことです。


たとえば、ゴータマ尊よ、倒れたものを起こすかのように、覆われたものを取り
除くかのように、迷った者に道を教えるかのように、

『眼の見える者たちは、もろもろのものを見るであろう』と、暗闇に燈火を掲げるかのように、


まさにそのように、ゴータマ尊は、多くの方法で、法を説いてくださいました。


ゴータマ尊よ、この私は、子とともに、妻とともに、衆とともに、仲間とともに、ゴータマ尊にまた法に、比丘僧団に帰依いたします。


 今より以後、生涯、ゴータマ尊は、私を帰依する信者として、お認めくださいますように。
また、ゴータマ尊がウッカッターにおける他の信者の家々にお近づきになるように、同じくゴータマ尊は、ポッカラサーティの家にお近づきくださいますように。


そこでは、バラモンの青年たちや娘たちが、ゴータマ尊を礼拝したり、立って迎えたり、座席や水を捧げたり、心を浄めたりいたしましょう。


それは、永くかれらの利益のためになり、幸福のためになるにちがいありません」と。

「バラモンよ、善いことが言われました」と。


✽1 註釈書には預流道が意趣されるとの記載あり。


僕個人の感想


要はこの経典の話では、ブッダ、釈尊の次第説法を在家が聞いて、その場で預流道に悟ったという話だと思われます。


パーリ語経典での悟りの定義は
預流道、預流果、一来道、一来果、不還道、不還果、阿羅漢道、阿羅漢果までになっています。


預流道に悟ったと言うことは、初転法輪経で、釈尊の説法を聞いて、五比丘の中で一番初めに悟ったと言われるコンダンニャ尊者と同じ境地になったという事だと思われます。


「南方仏教基本聖典 ウ ウェープッラ著 中山書房仏書林 P70 参照」


そして(預流道者?)、預流果者になるとその人は、将来必ず阿羅漢果になる事は保証されるとの事のようです。


「南方仏教基本聖典 ウ ウェープッラ著 中山書房仏書林 P19 宝経 参照」


なので、当時のアナータピンディカ居士が預流果に悟ったと言われるように、在世当時のブッダ釈尊が自ら薦める、次第説法の順番で現代在家一般人が仏教を理解するのも一法ではないか?とも僕個人は思います。


(分かりやすく言うならば、現代人がよく行う瞑想等をする前に、次第説法の内容、四聖諦を頭で十分に理解してしまう。)


次回はその次第説法の中身(布施から始まって〜四聖諦まで等)を該当経典の中から逐一引用してご紹介していきたいと思います。

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