インド最初期仏教への誘い

現存するパーリ語仏教経典からの引用による仏教紹介。

布施について[次第説法14 布施①]



↑で記載されています、
世尊は、順々の話[次第説法]をされた。
すなわち、布施の話、戒の話、天の話、もろもろの欲望における危難、卑劣・汚れを、離欲における功徳を、〜四聖諦を説き示された。


この次第説法の最後に四聖諦を説くための導入部分に当たる「布施」について今回ご紹介してみたいと思います。


一般的に現代的に「布施」と言いますと、神社仏閣、宗教団体、慈善福祉団体に寄付する等などが挙げられると思われます。


行為としましては、
親類縁者、友人知人に支援したり、
一般社会でのボランティア活動等や学生時代の学習、進学、就職、仕事をするに当たって、
なかなか出来ない事ではあると思われますが、


「人の役に立つために学ぶ、仕事をする。」といった動機でするならば、


その行為は「布施」に当たると思われ、その方の人生は、一般的に不幸なものになりにくいのではないか?と思われます。


ではインド最初期仏教に当たります、パーリ語仏教経典の中で釈尊、ゴータマ・ブッダはどのように語られたのか?ごく一部をご紹介してみたいと思います。


何しろ上記、次第説法の内容そのものの記述が恐らく記録されていないと思われますので、修行僧等、神々、在家一般人に語られた部分等を抜き出し引用しまして推測してみたいと思います。


例えば小部経典にある、吉祥(きちじょう)経の中に


『施与(ほどこし)、法に叶(かな)う行ない、親族の愛護、非難を受けない行為、これは最上の吉祥である。』
注釈✳吉祥とは、幸福をもたらすきざしをいう。


という表現があります。


ゴータマ・ブッダが、神に説いたお経です。神がいる、またその存在とアクセス出来たという前提がパーリ語仏教経典の中にはあります。


吉祥経 (マンガラ・スッタ)南方仏教基本聖典 ウ・ウェープッラ著 中山書房仏書林 P14〜引用


皆さん、天や人々が十二年間考えてわからなかった三十八の幸福な吉祥を、天の中の天である世尊によって、一切世間の利益のために説かれた、すべての悪を消滅させる吉祥を誦えよう。 《吉祥経の徳》


私はこのように聞きました。


ある時世尊は舎衛城のジェータ林にある、孤独な人々に食を施す長者の精舎(祇樹給孤独園)に住んでおられました。


その時一人の容色麗わしい神が夜半を過ぎた頃、ジェータ林を隅なく照らして、世尊のところに近づいてきました。


そして世尊を礼拝すると一方に立ち、世尊に詩(偈)をもって申し上げました。〈吉祥経の序〉

多くの神々や人々は幸福を望みつつ吉祥を考えて来ました。 最上の吉祥を説き給え。


賢者に親しみ、 愚者に親しまず、尊敬すべきものを尊敬する、これは最上の吉祥である。


適当な場所に住む、前世に積んだ功徳、身心を(悪より) よく引き留めておく、これは最上の吉祥である。


博い見聞、(生活のための)技術、よく身についた躾(しつけ)、善く語った言葉、これは最上の吉祥である。


父母を養い、妻子を守る、秩序ある仕事、これは最上の吉祥である。


施与(ほどこし)、法に叶う行ない、親族の愛護、非難を受けない行為、これは最上の吉祥である。


(身・ロ・意の)悪より離れ去り、飲酒より自制し、善法において放逸なことがない、

これは最上の吉祥である。


尊敬、謙遜、満足、受けた恩を知る、適時に教法を聞く、これは最上の吉祥である。


忍耐、忠告を素直に受けいれる、僧(出家)に会う、適時に教法について話し合う、これは最上の吉祥である。


戒律の修行、止観の修行、聖なる真理を見、涅槃を悟る、これは最上の吉祥である。


世間の法✳(注釈)に遭遇しても心が動揺せず、憂いなく、汚れなく、安らかである、これは最上の吉祥である。


このように行なえば、いかなることにも敗れることがなく、あらゆるところで幸福が得られる。
これは神々や人間にとって最上の吉祥である。

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世間の法✳(注釈)


世間の法 (lokadhamma) とは、


①利得 (lābha) ②(不利得 (alābha)


③名誉(yasa)④不名誉(ayasa)


⑤非難 (nindā) ⑥賞讃 (pasamsā)


⑦楽 (sukha) ⑧ 苦(dukkha)

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