在家仏教の研究 浪花宣明② 在家者と出家者との教説の違い 次第説法5[次第説法 概要その⑤]
↑前回の続きです。
(在家仏教の研究 浪花宣明 P8から引用)
それでは何故に在家者に対する教説と出家者に対する教説とが区別されていたのであろうか。
その理由は教説を聞く者の側にあったのであろう。
原始経典の中では、在家者は諸欲を享受する者であること、
あるいは在家の生活 は穢れが多く、結縛におおわれていることがくり返し説かれている。
現存の原始経典は出家者によって編集され伝持されて来たものであり、それは出家者優位の立場に貫かれていることは否定しがたい。
それ故現存の原始経典では在家者がその実体以上に低く見られていることも考えられるが、
それでも在家の生活が結縛が多く、解脱・涅槃のための修行は困難であることは否定できない。
さらに在家者の中には出家者に対する教説を理解し、受け入れるまでに宗教的に開明されていない者が多いということも考えに入れるべきである。
たとえば『相応部経典』 (S.V.406-8)では、世尊はダンマディンナなどの在家者に対して、
「如来によって説かれた諸経典は深甚であり、深甚の意味を有し、出世間のものであり、空に相応したものであるから」
これらを受持して生活すべきであると説いたが、
在家者にとりそれは困難であったために、
彼らは在家者にも容易に受持しうる
四証浄✽1の教説を学んだ、と伝えられている。
これは出家者に対する教説が在家者にも開かれていたことを示すと同時に、
在家者にはそれらの実践が困難なものであったことをも物語っている。
四証浄(✽1) はおそらくは下記のようなことだと思われます。
四預流支(仏教辞典パユットー著 野中耕一編訳)
四預流支 (Sotāpattiyanga factors of Stream-Entry) 預流を成就する功徳を支える備支。
預流の僧とする資質、
預流の僧の資質
代表例の一つとして
1. 仏における揺るぎのない浄信 (unshakable condidence in the Budddha)
2. 法における揺るぎのない浄信 (unshakable condidence in the Dhamma)
3. 僧伽における揺るぎのない浄信 (unshakable condidence in the Sangha)
4. 聖者愛の戒
(Ariyakanta-sila: unblemished morality) 聖者の愛し満足する戒で、清浄で渇愛と見に汚されず支配されず、 定のためにあるもの。
或いは
4. 邪見のない心で家に住し、喜んで他の人に物を分け与える (devotion to charity: delights
giving and sharing)
(南伝大蔵経 第16巻下相応部大篇 224-5)
あるいは
1. 善士親近 (Sappurisasamseva: association with good and wise persons):
善友としての法と慧を持つ人と付き合う。
2. 正法聴聞 (Saddhammassavana: hearing the good teaching) 関心を持って、学び、聴き、真の法の知識を求める。
3. 如理作意 (Yonisomanasikāra: analytical reflection; wise attention)
心の中で理をもって行う、正しい方法で理由を考察して求める。
4.法随法行
(Dhammānudhammapatipatti: practice in accord with the Dhamma, i.e. in such a systematic way that all levels and aspects of the Dhamma are in accord as
regards their respective purposes; living in conformity with the Dhamma):
法に適切に法を実践する。
原理に正しく法を実践し、細かな法を大きな法に従わせ、 関係する一切の法の目的に一致させる。 その法の実践をその他の法と一致させ意味と目的の範囲に程よく一致させ、すべての体系として大きな法の原理の中に同化する。 法に従って正しい生き方をする。