インド最初期仏教への誘い

現存するパーリ語仏教経典からの引用による仏教紹介。

次第説法の具体的内容はパーリ語経典には記述が無い? 次第説法7[次第説法 概要その⑦]



この続きです。


〜『一方に坐ったポッカラサーティ・バラモンに、世尊は、順々の話[次第説法]をされた。


すなわち、布施の話、戒の話、天の話、もろもろの欲望における危難、卑劣・汚れを、離欲における功徳を説明された。


世尊は、ポッカラサーティ・バラモンが従順な心になり、柔和な心になり、
障りのない心になり、向上する心になり、浄らかな心になったことをお知りになると


もろもろの仏が自ら称賛する法の教えをすなわち、


苦・集・滅・道 
[苦 ・苦の生起・苦の滅尽・苦の滅尽にいたる行道という四聖諦]
を説き示された。』〜


〜この三論に始まり四諦の教説にまで高められる次第説法は原始経典の中で一つの定型として定着し、しばしばくり返されている。〜(在家仏教の研究 浪花宣明 P9〜)


とあリますので、一つの定型として定着し、しばしばくり返されているのならば?


また

ここで


増支部経典第五集(片山一良訳)から
「アーナンダよ、他の者に法を説くことは容易でありません。



アーナンダよ、他の者に法を説こうとするならば、内に五法を確立して、他の者に法を説くべきです。


五とは何か?


①私は順々の話をしよう、


②私は根拠を見てから話をしよう、

③私は憐れみによって話をしよう、

④私は利益を求めずに話をしよう、

⑤私は自他を害さずに話をしよう、


と。このように他の者に法を説くべきです」


【わざわざ】ブッダご自身が「〜と説くべきです。」『べき』という話し方(片山一良訳)をされていますので、


この①順々の話、次第説法の具体的な内容はどうなっているのか?とざっと経典をいろいろ調べてみたのですが、


つまり、この次第説法の内容


「布施の話、戒の話、天の話、もろもろの欲望における危難、卑劣・汚れを、離欲における功徳→四聖諦を説き示された。」のお決まりフレーズ、項目だけは、あるのですが、


直接、釈尊がその場で、まとめて次第説法を説いた内容、釈尊の生の言葉として、在家者にまとめて布施から四聖諦まで語って預流道果にまでまず悟らせた、そのすべての内容の詳しい話が残されていないようなのです。


僕も全ての経典を調べたわけではないのですが、少なくとも、長部経典、中部経典には全くないようです。次第説法のお決まりフレーズ、項目だけはあります。


恐らく相応部、増支部経典にもお決まりのフレーズ、項目だけはあっても、丸々すべての次第説法を語った一括内容のお経は無いものと思われます。


つまり次第説法の内容、ブッダが在家者に語った語り口が丸々残って記録されているならば、


それを聞いた、或いは読んだ後世の在家者、一般人にとっては、
仏教を理解するのに大変、分かりやすいことになったと思われます。


しかしながら、結論としまして、


物語としても、その次第説法の一括内容、重要な説法スタイル、また誰よりもどんな生命よりも、僧団比丘サンガ、阿羅漢のお弟子さん方よりも、


在家者、一般人に教えるのが上手いと評される多大な徳のあるブッダの説明の仕方、


預流道果に説法で、在家者を導いたブッダの具体的一括次第説法内容等は、


上座仏教教団の現在保持するパーリ語経典には記録されていないという結論に至るようです。


どこかに次第説法の内容が丸々一括して記録されてあるのならば、ご存知の方は是非お教え願いたいと思っています。


近いような話はあるのですが、


仕方がありませんので、布施から四聖諦までに至る内容の話を「比丘達よ」で始まる出家修行僧に対して語られた話、時に在家に対して語られた話を部分的に引用しまして、
何とか「次第説法」の痕跡をたどってみようかと思います。

×

非ログインユーザーとして返信する