次第説法についての後世成立の註釈書から短い補足。次第説法3[次第説法 概要その③]
前回の続きの補足です。
「一方に坐ったポッカラサーティ・バラモンに、世尊は、順々の話✽1[次第説法]をされた。
すなわち、布施の話、戒の話、天の話、もろもろの欲望における危難、卑劣・汚れを、離欲における功徳を説明された。
世尊は、ポッカラサーティ・バラモンが従順な心になり、柔和な心になり、
障りのない心になり、向上する心になり、
浄らかな心になったことをお知りになると
もろもろの仏が自ら称賛する法の教えを
すなわち、
苦・集・滅・道
[苦 ・苦の生起・苦の滅尽・苦の滅尽にいたる行道という四聖諦]
を説き示された。
すると、ちょうど染みのない清浄な布が完全に染料を受けとるように、
ポッカラサーティ・パラモンには、即座に、
「生じる性質のものはすべて滅する性質のものである」という、
塵を離れ垢を離れた法の眼✽2が生じた。
✽1 次第説法のこと。
✽2 註釈書には預流道が意趣されるとの記載あり。
✽1 この順々の話、次第説法 「anupubbi-kathā」に上座仏教教団保持による伝統的な註釈(ブッダゴーサ長老?)が書かれています。
(片山一良訳 長部経典1 第3 アンバッタ経 P426 大蔵出版 訳註からの要約引用
anupubbi-kathā. 〈布施 (dāna) のつぎは戒 (sila)、 戒のつぎは天 (sagga)、天のつぎは道 (magga)、
というようにそれらの意味を説明する話〉のこと。
どのように語られるか。
《まず、布施 (dāna) の話は、多くの人々において状況がすべて共通しているから、 なし易いから、戒の確立の方便であるから、
初めに語られるべきである。
実に施捨する性行の人は、所有物に対して執着がないから、楽に諸戒を受持し、そこによく確立する。
〜中略〜
また、これら布施・戒から成る勝れた、より勝れた、などと区別される福業事によって、この四大王天などにおける勝れた、より勝れたなどと区別される量り知れない
天の富の完成が得られるということを示すためである。
そして
これにつづいて、 天 (sagga) の話が語られねばならない。
この天は貪りなどによって汚れたものであり、
いかにしても汚れないものは聖なる道であるということを示すためである。
そして天につづいて道 (magga) が語られるべきである。
道を語る場合、それを証得する方便を開示するために、
天に含まれるものはもちろん、その他すべての欲望 (käma) というものが、
多くの危難のものであり、
無常のものであり、
堅固のものでなく、
変化する性質のものであるということで
「もろもろの欲望における危難」が、
劣ったものであり、
卑しいものであり、
通俗のものであり、
非聖のものであり、
無意義のものであるというこ
とで
それらの卑劣なる「劣悪」が、
また、あらゆる繁栄が煩悩
を基にしているということで
そこに「汚れ」が、
そしてすべて
の汚れからの離脱が涅槃 (nibbāna) であるということで
「離欲における功徳」が、語られるべきである》。