在家仏教の研究 浪花宣明③ 在家者に次第説法をする訳 次第説法6[次第説法 概要その⑥]
↑前回の続きです。 (在家仏教の研究 浪花宣明 P9から引用) 出家者は涅槃という高速な理想に目醒め、涅槃の獲得のために現世の一切の欲楽を捨て去った者である。 これに対して在家者はそのような高遠な理想に目醒めていない。 彼らは善事をなせば生天の楽果を得、 悪事をなせば悪趣に堕すという業報の思想の中... 続きをみる
在家仏教の研究のブログ記事
在家仏教の研究(ムラゴンブログ全体)在家仏教の研究 浪花宣明③ 在家者に次第説法をする訳 次第説法6[次第説法 概要その⑥]
↑前回の続きです。 (在家仏教の研究 浪花宣明 P9から引用) 出家者は涅槃という高速な理想に目醒め、涅槃の獲得のために現世の一切の欲楽を捨て去った者である。 これに対して在家者はそのような高遠な理想に目醒めていない。 彼らは善事をなせば生天の楽果を得、 悪事をなせば悪趣に堕すという業報の思想の中... 続きをみる
在家仏教の研究 浪花宣明② 在家者と出家者との教説の違い 次第説法5[次第説法 概要その⑤]
↑前回の続きです。 (在家仏教の研究 浪花宣明 P8から引用) それでは何故に在家者に対する教説と出家者に対する教説とが区別されていたのであろうか。 その理由は教説を聞く者の側にあったのであろう。 原始経典の中では、在家者は諸欲を享受する者であること、 あるいは在家の生活 は穢れが多く、結縛におお... 続きをみる
在家仏教の研究 浪花宣明① 次第説法4[次第説法 概要その④]
(何故か紛失のため再掲。すみません。) 釈尊在世当時のインドでの、在家、一般人の仏教の学び方について別の書籍から引用しての考察です。 (在家仏教の研究 浪花宣明(註) P7から引用) 「原始経典では出家者に対する教説と在家者に対する教説が区別されていたことは確かである。 『中部経典』一四三経による... 続きをみる