在世当時の釈尊は「いかなる理由でも自分は現金は受け取らない」という証言がある経典のご紹介 Part 1[次第説法18 布施⑤]
↑この続きです。
当時の在家一般人がゴータマ・ブッダ、釈尊その人に、現ナマ、現金、金銀をお布施した場合、果たしてそれを受け取るのか?という経典のご紹介です。
古い翻訳ですみませんが、
南伝大蔵経第16 巻上 相応部経典五 立花俊道訳 P29からの引用
第十
ある時世尊は王舎城外なる竹林迦蘭陀園に住し給へり。
然るにその時王の内宮に於ける王臣の集会に集合同座せる人々の間にこの相互談起れり、
ざっと要約しますと、ある時ゴータマ・ブッダ釈尊が竹林カランダ園にお住まいになっていた時、その時にその国王の臣下の集会で談話が起こったという話ですね。
「沙門釈子等に金銀は淨なり、彼等は金銀を受け、金銀を取る」と。
「仏弟子修行僧達にとって貨幣は浄である。彼らは貨幣を受け取りますよ」という談話がのぼったということですね。
偶々 (たまたま)その時マニチューラカ聚落主はこの集会に列してありき。
時にマニチューラカ聚落主はこの集会に語りて言へり、
たまたまマニチューラカ村長さんはこの集会に参加していて、こう発言した。
「諸尊よ、是の如く言ふことなかれ。沙門釈子等には金銀は浄に非ず、彼等はこれを受けず、彼等はこれを取らず。沙門釈子等はマニ黄金を棄て、金銀を離る」と。
「尊い方達よ、このような事を言ってはいけません。仏弟子修行僧達には貨幣は浄では無いし、彼らは貨幣を受け取リません。仏弟子達はマニ黄金を捨て、金銀から離れてます」と。
マニチューラカ聚落主はその集會を納得せしむる能はざりき。
マニチューラカ村長さんはその集会で皆を納得させる事が出来なかった。
それよりマニチューラカ聚落主は世尊の居給へる所へ詣り、世尊を礼拝して一方に坐したり。一方に坐したるマニチューラカ聚落主は世尊に白して言へり、
それよりマニチューラカ村長さんは釈尊の居られる所に詣で礼拝して一方に座り、釈尊にこうのたまわった。
「大徳よ、ここに王の内宮に於ける王臣の集曾に、集合同座せる人々の間にこの相互談起れり、『沙門釈子等に金銀は淨なり。彼等は金銀を受け、金銀を取る』と。
かくいふや大徳よ余はこの集会に告げて言へり、『諸尊よ、是の如く言ふことなかれ、沙門釈子等には金銀は浄に非ず。彼等はこれを受けず、これを取らず。沙門釈子等は摩尼黄金を棄て、金銀を離れたるなり』と。
大徳主よ、余はその集会を納得せしむること能はざりき。
大いなる徳のある方よ、ここに王の内宮における王の臣下の集会でこのような談話が相互に起こりました。
「仏弟子修行僧達にとって貨幣は浄である。彼らは貨幣を受け取ります」と。
このように言うので、大いなる徳のある方よ、私はこの集会に告げて言いました。
「尊い方々よ、このような事を言ってはいけません。仏弟子修行僧達には貨幣は浄では無いし、彼らは貨幣を受け取リません。仏弟子達はマニ黄金を捨て、金銀から離れてます」と。
大いなる徳のあるお方よ、私はその集会を納得させることは出来ませんでした。
大徳よ、是の如く説く所の余は世尊の所談を談ずるものなりや、非実を以て世尊を誹謗することなきや、世尊の法に随順して法を説明し、誰なる随順説の同法者にても非難さるべき地位に陥ることなきや」と。
この表現は経典に良く出てくるパターンで片山一良訳でご紹介しますと、(中部経典6 ブーミジャ経P46〜)
尊師よ、このように問われ、このように答えている私は、はたして世尊が説かれていることを語る者でしょうか。また、世尊を不実によって誹謗しているのではないでしょうか。
また、法について法のとおりを説明しているのでしょうか。
如法(根拠のある)の種々の言論も非難されるべき状態に到ることがないのでしょうか?」
part 2へ続く~。
ある時ゴータマ・ブッダ釈尊が竹林カランダ園にお住まいになられていた。
その時にその国王の臣下の集会で談話が起こりました。
「仏弟子修行僧達にとって貨幣は浄である。彼らは貨幣を受け取ります」と。
たまたまマニチューラカ村長さんはこの集会に参加していて、こう発言した。
「尊い方達よ、このような事を言ってはいけません。仏弟子修行僧達には貨幣は浄では無いし、彼らは貨幣を受け取リません。仏弟子達はマニ黄金を捨て、金銀から離れてます」と。
マニチューラカ村長さんはその集会で皆を納得させる事が出来なかった。
それよりマニチューラカ村長さんは釈尊の居られる所に詣で礼拝して一方に座り、釈尊にこうのたまわった。
「大いなる徳のある方よ、ここに王の内宮における王の臣下の集会でこのような談話が相互に起こりました。
『仏弟子修行僧達にとって貨幣は浄である。彼らは貨幣を受け取ります』と。
このように言うので、大いなる徳のある方よ、私はこの集会に告げて言いました。
『尊い方々よ、このような事を言ってはいけません。仏弟子修行僧達には貨幣は浄では無いし、彼らは貨幣を受け取リません。仏弟子達はマニ黄金を捨て、金銀から離れてます』と。
大いなる徳のあるお方よ、私はその集会を納得させることは出来ませんでした。
尊師よ、このように問われ、このように答えている私は、はたして世尊が説かれていることを語る者でしょうか。また、世尊を不実によって誹謗しているのではないでしょうか。
また、法について法のとおりを説明しているのでしょうか。
如法(根拠のある)の種々の言論も非難されるべき状態に到ることがないのでしょうか?」
続く~
全訳
第十 ある時世尊は王舎城外なる竹林迦蘭陀園に住し給へり。
然るにその時王の内宮に於ける王臣の集会に集合同座せる人々の間にこの相互談起れり、
「沙門釈子等に金銀は淨なり、彼等は金銀を受け、金銀を取る」と。
偶々 (たまたま)その時マニチューラカ聚落主はこの集会に列してありき。時にマニチューラカ聚落主はこの集会に語りて言へり、
「諸尊よ、是の如く言ふことなかれ。沙門釈子等には金銀は浄に非ず、彼等はこれを受けず、彼等はこれを取らず。沙門釈子等はマニ黄金を棄て、金銀を離る」と。
マニチューラカ聚落主はその集會を納得せしむる能はざりき。
それよりマニチューラカ聚落主は世尊の居給へる所へ詣り、世尊を礼拝して一方に坐したり。
一方に坐したるマニチューラカ聚落主は世尊に白して言へり、
「大徳よ、ここに王の内宮に於ける王臣の集曾に、集合同座せる人々の間にこの相互談起れり、『沙門釈子等に金銀は淨なり。彼等は金銀を受け、金銀を取る』と。
かくいふや大徳よ余はこの集会に告げて言へり、『諸尊よ、是の如く言ふことなかれ、沙門釈子等には金銀は浄に非ず。彼等はこれを受けず、これを取らず。沙門釈子等は摩尼黄金を棄て、金銀を離れたるなり』と。
大徳主よ、余はその集会を納得せしむること能はざりき。
大徳よ、是の如く説く所の余は世尊の所談を談ずるものなりや、
非実を以て世尊を誹謗することなきや、
世尊の法に随順して法を説明し、誰なる随順説の同法者にても非難さるべき地位に陥ることなきや」と。
PART2へ続く。