インド最初期仏教への誘い

現存するパーリ語仏教経典からの引用による仏教紹介。

「人間が得る欲の危難(障害、煩わしさ)とは何か?」『意見の違い、衝突』 四聖諦を理解するために。「苦Dukkhaドゥッカ」の意味とは?大苦蘊経 PART4[次第説法37 欲の欠点、危難]



人間が生活をし、時に余暇を楽しむために(=人間が持つ眼、耳、鼻、舌、身という感覚器官から喜びを得るために)は、煩わしいリスクを同時に受けなければならないという事の考察が続きます。

前回の続きです。
パーリ語仏典 中部経典第13 大苦蘊経(mahaa dukkha khanda sutta)片山一良訳 大蔵出版 P239から引用


「さらにまた、比丘たちよ、欲を因とし、欲を基とし、欲を根拠として、すなわち、もろもろの欲を因(原因)として、


もろもろの王は王と言い争い、もろもろの王族は王族と言い争い、もろもろのバラモンはバラモンと言い争い、もろもろの資産家は資産家と言い争い、母は息子と言い争い、息子は母と言い争い、父は息子と言い争い、息子は父と言い争い、兄弟は兄弟と言い争い、兄弟は姉妹と言い争い、姉妹は兄弟と言い争い、友は友と言い争います。


 そこで、かれらは、論争・争論・口論に及び、互いに手で攻撃したり、土くれで攻撃したり、棒で攻撃したり、刀で攻撃したりします。 かれらはそこで、死に至り、死ぬほどの苦しみにも至ります。


比丘たちよ、これもまた、もろもろの欲の危難です。現に見られる、苦(dukkhaドゥッカ)の集まりであり、欲を因とし、欲を基とし、欲を根拠とするもの、すなわち、もろもろの欲を因(原因)とするものです。


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確かに、「意見が完全に一致する」ということは人間にはないので、人間が生活をして行く中で、様々な意見の衝突は避けられなくなると思われます。


国家間の利害の衝突からそれぞれが属している階級間での衝突、家族間、友人間との衝突、
それぞれ自分の利益、自分の好みの欲(=眼、耳、鼻、舌、身の感覚器官に自分好みのものを入れたがる)を追い求めているので、利害関係、意見が完全に同じになる、一致するということは、あり得ないことだと思われます。


そこで論争・争論・口論で止まるのならばまだ良いにしろ、殺傷事件にまで発展する可能性が十分あるという事のようです。


意見の衝突から殺傷事件にまで発展してしまう原因は元を正せば、欲(=人間の持つ眼、耳、鼻、舌、身の感覚器官に自分好みの情報を入れて、そこから喜びを得ようとすること。)が原因ですよとのゴータマ・ブッダの言及です。


次回も欲の危難(障害、煩わしさ)の話が続きます。

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