インド最初期仏教への誘い

現存するパーリ語仏教経典からの引用による仏教紹介。

ブッダが説く布施と天界への道の一例[次第説法22 布施の話⑨ 天界の話①]

在世時のブッダ釈尊その人が一般在家に直接ご自分の教え(仏教)を説いた代表的な方法。次第説法2[次第説法 概要 その②] - インド最初期仏教への誘い


↑ 一方に坐ったポッカラサーティ・バラモンに、世尊は、順々の話[次第説法]をされた。すなわち、布施の話、戒の話、天の話、もろもろの欲望における危難、卑劣・汚れを、離欲における功徳を説明された。


→苦・集・滅・道 [苦 ・苦の生起・苦の滅尽・苦の滅尽にいたる行道という四聖諦]を説き示された。


今回から次第説法のうち、布施の話、天の話になります。天界が本当にあるのかどうか?は別としまして、このような記述がパーリ語仏教経典にはたくさんあります。


ゴータマ・ブッダが語る布施、天界の話についての記述です。 如是語経 原始仏典八 ブッダの詩 p219からの引用 長崎法潤 渡辺顕信 訳 講談社


施し


たしかに次のことを世尊が説かれた、尊むべきお方が説かれた、と私は聞いている。


「比丘たち、もし生あるものたちが、私の知るように、施し分け与えることの果報を知っていたならば、他に食を施しもせず、自分だけで食べることはしないだろう。


 また物惜しみの煩悩の垢が、彼らの心をとらえて離さぬようなことはないであろう。


彼らに食物の最後の一口でも最後のひとかけらでも残っていて、もし彼らのために施しを受ける人々がいれば、彼らはその人々に分け与えずに自分だけで食べることはしないであろう。


しかし比丘たち、実際には、生あるものたちは、私が知るように、施し分け与えることの果報を知らないために、
彼らは他に施しもせず、自分だけで食べ、物惜しみの煩悩の垢が、彼らの心をとらえて離さないのである」


このことを世尊は語られ、それについて次のように説かれた。


もし生あるものたちが、偉大な聖仙(ほとけ)の説かれたように、 他に分け与えることの結果がいかに大きいかを知るならば、浄らかな心によって物惜しみの垢をとり去るだろう。


施された物は大きな結果をもたらすが、 彼らは聖者たちに適時に施すだろう。


施し物を受けるに適した多くの人に食物を施し、施し物を捧げて、施主たちは、この人間界から死去して、天上界に行く。


天上界に行った彼らは、そこで欲するままに楽しむ。 


物惜しみをしなかった彼らは、他に分け与えることの果報を享受する。


このことをもまた世尊が説かれた、と私は聞いている。

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