インド最初期仏教への誘い

現存するパーリ語仏教経典からの引用による仏教紹介。

【超重要】サーリプッタ尊者が説く「初めての方のための仏教の学び方」これだけ理解すればまず仏教は十分。PART3 本編[次第説法32 欲の欠点、危難⑦ 離欲の利点、功徳⑤]


前回の続き、まとめ、PART3です。
デーヴァダハ経 (Devadaha-sutta)相応部経典5 蘊(うん)相応  ナクラピターの章 片山一良訳 大蔵出版 P54~ から引用


友らよ、もし もろもろの不善法をそなえて住む者(五蘊ごうん= 色、受、想、行、識に対して欲、貪りを離れていない者)に、現世において、悩害のない、悩みのない、熱悩のない、楽の住まいが生じ、身体が滅ぶと、死後、善趣(引用者注 良い来世、境涯)が期待されるならば、世尊が、 このもろもろの不善法の捨断を称賛されることはありません。


しかし、友らよ、もろもろの不善法をそなえて住む者(五蘊ごうん= 色、受、想、行、識に対して欲、貪りを離れていない者)に、現世において、悩害のある、悩みのある、熱悩のある、苦の住まいが生じ、身体が滅ぶと、死後、悪趣(引用者注 悪い来世、境涯)が期待されることから、世尊は、このもろもろの不善法の捨断を称賛されるのです。


また、友らよ、もしもろもろの善法をそなえて住む者(五蘊ごうん= 色、受、想、行、識に対して欲、貪りを離れている者)に、現世において、悩害のある、悩みのある、熱悩のある、苦の住まいが生じ、身体が滅ぶと、死後、悪趣が期待されるならば、世尊が、このもろもろの善法の成就を称賛されることはありません。


しかし、友らよ。 もろもろの善法をそなえて住む者に、現世において、悩害のない、 悩みのない、熱悩のない、楽の住まいが生じ、身体が滅ぶと、死後、善趣が期待されることから、世尊は、このもろもろの善法の成就を称賛されるのです」と。


このように、尊者サーリブッタは言った。その比丘たちは喜び、尊者サーリブッタが説いたことに歓喜した、と。
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凄く分かりやすい経典で、要は、物事はすべて変化している。そこで欲を出して手に入れた物(物質、自他と共にある心身)は、すべて変化して壊れて自分から去っていくものだから、そこに執着、愛着、期待していると、悲しみ苦しみ悩みが生じる。


よって変化して、壊れるものに、欲を起こしたり、貪ったりしないことにするという教え仏教ですよという解説を、ゴータマ・ブッダと智慧第一のサーリプッタ尊者がされたという事ですね。


内外共に、これしか簡潔に仏教は人に語れない、必要かつ十分という感じだと個人的には思われます。


つまり、欲を離れるということが仏教ですね。


四聖諦で言うならば、


すべてのもの(物質的なもの、精神的なもの)途中、楽で、楽しいものであっても、最後は例外なく、変化して壊れて自分から去っていくものだから、
自分の気持ちとして最後は、悩み、悲しみ苦しみ、dukkha、ドゥッカ」の気持ちで、必ず終わりになる。終結する=苦聖諦


最後は、悩み、悲しみ「苦しみ、dukkha、ドゥッカ」の気持ちで終わりになる、終結するものになることが必ず決まっているものに、
「欲」を出すと、当然また最後に悩み、悲しみ「苦しみ、dukkha、ドゥッカ」を自分が必ず味わうことになる苦集聖諦(例外なく必ず苦がまた自分に生じるという真理)



最後は、悩み、悲しみ「苦しみ、dukkha、ドゥッカ」の気持ちで終わりになる、終結するものになることが必ず決まっているものに、
初めから「欲」を出さなければ、問題は元々起こらない。悩み悲しみ苦しみが起こりようがない。=苦滅聖諦
だからと言って、「五蘊に対しての欲」を抑えた、捨てたからと言って自分が、「損」をするわけではないと思われます。


「苦が無い」状態なので、その辺りの表現をダンマパダ(法句経)では、
ニルヴァーナ(涅槃)は最高のものである。と もろもろのブッダは説きたまう。」184偈
健康は最高の利得であり、満足は最上の宝であり、信頼は最高の知己であり、ニルヴァーナ(涅槃)は最上の楽しみである。」204偈と表現されています。P36P38 ブッダの真理のことば 中村元訳 岩波文庫


以上の三つの真理を理解して、「五蘊に対しての欲は、自分に悲しみ悩み苦しみを生じさせるものだ」と自分の心で納得して初めて、五蘊に対しての欲を制御する技術を自ら実行してみる。=苦滅道聖諦 八正道


(長部経典 22 大念処経 四聖諦の部参照)
という道筋になると思われます。


上記、四聖諦のうち、三つの真理を理解して、心から自分で納得していないと、人は、四番目の真理の実行は出来ないと思われます


ちなみに、四聖諦、八正道のパーリ語原文からの日本語訳としまして、以下のサイトから読めるようです。大変ありがたいサイトだと思います。


光明寺経蔵 https://komyojikyozo.web.fc2.com/


パーリ三蔵の現代語訳『長部』『中部』『相応部』『増支部』「小部」の中の


『長部』→ 「大篇」→「大念処経」→【法随観:〔四〕諦の部】【苦諦の解説】
【集諦の解説】
【滅諦の解説】
【道諦の解説】

をクリックしますと読めます。

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