インド最初期仏教への誘い

現存するパーリ語仏教経典からの引用による仏教紹介。

【決定版】ブッダが説く、悩み、苦しみの根本的原因とその解決法とは?PART2[次第説法29 欲の欠点、危難④ 離欲の利点、功徳②]


前回の続きのまとめです。
今回は仏教で、の構成要素として分析している四つの分類、
 感覚のこと。楽しい感覚、苦しい感覚、どちらでもない感覚など。
 概念、印象。映像、赤、白、黄色などの色の識別など。
 エネルギー、形成力。やる気、気持ち。例えば毎日ラジオ体操、ラジオ語学番組を聞こうと決意しても次第にやる気が続かなくなってしまうなど。
 認識など。
についての話です。


自島経 (Attadiipa-sutta) 相応部経典5 蘊(うん)相応 自島の章 片山一良訳 大蔵出版 P161~ から引用


このように私は聞いた。あるとき、世尊は、サーヴァッティに近い、ジェータ林のアナータピンディカ僧院に住んでおられた。そこで、世尊は比丘たちに話しかけられた。
「比丘たちよ」と。
「尊い方よ」と、かれら比丘は世尊に答えた。
世尊はつぎのように言われた。「比丘たちよ、自己を島とし、自己を依り所とし、他を依り所とせずに、法を島とし、法を依り所とし、他を依り所とせずに住みなさい。


比丘たちよ、自己を島とし、自己を依り所とし、他を依り所とせずに、法を島とし、法を依り所とし、他を依り所とせずに住む者たちに、
原因が観察されるべきです。


〈愁い・悲しみ・苦しみ(dukkhaドゥッカ) ・憂い・悩みは、何によって生じ、何によって発生するのか〉と。


それでは、比丘たちよ、愁い・悲しみ・苦しみ・憂い・悩みは、何によって生じ、何によって発生するのでしょうか。


比丘たちよ、ここに、聞をそなえていない凡夫は、もろもろの聖者を見ず、聖者の法を熟知せず、 聖者の法に導かれず、もろもろの善人を見ず、善人の法を熟知せず、善人の法に導かれません。
かれは〈受、想、行、識である〉と、あるいは〈受、想、行、識を有する〉と、あるいは〈の中に受、想、行、識がある〉と、あるいは〈受、想、行、識の中にがあると随見(ずいけん)します。


かれのその受、想、行、識変化し、変異します
かれには、受、想、行、識変化、変異により、愁い・悲しみ・苦しみ ・憂い・悩みが生じます。


しかしながら、比丘たちよ、受、想、行、識の無常性、変化、離貪、滅尽を知り、
〈昔の受、想、行、識も今の受、想、行、識もそのすべては無常であり、 苦であり、変化の法である〉と、

このようにこれを如実に、
正しい慧によって見る者には、
愁い・悲しみ・苦しみ・憂い・悩みというもの捨断されます。


それらの捨断によりかれは震えません(恐れません)震えない(恐れない)者は楽に住みます。 楽に住む比丘は、「その部分による寂滅者」と言われます。
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今回は心の構成要素(受、想、行、識)についてです。


基本的に、受、想、行、識は同時に働くものだと思われます。


例えて言うのならば、
ある人がご自分の好きな舞台、演劇、コンサートを見るとします。観た後、すごく感動する。
しかし観た後から、会場を後にして家路に帰る途中、その観た映像、音楽、舞台登場人物の姿形、セリフ、音声など、自分の記憶、印象が、次第に遠くなり、消えて行ってしまう。
一晩寝て、翌日になると、かなり忘れてしまっている。何日も経つとおぼろげな記憶、印象しかなくなる。


心というのは「そんなもの」だと思われますね。
その映像を思い出したくなっても、頭の中で忠実に再現出来なくなる。


なので、心(受、想、行、識)というものは、観た(見た)瞬間からその映像、印象、音声自分から「去っていくもの、離れていくもの」なのでしょうね。


なのでその映像、印象、音声強烈に愛着がある人は、後から、DVD、やらCDやら、写真集などを購入することになります。


しかしながら、DVD、やらCDやら、写真集などが仮に売り切れになってしまって、すぐ手に入らなくなると、その人は、悲しみ、苦しむことになるという構図です。


まして、愛情ある家族、恋人、夫婦の心、気持ちが変わってしまう、連れ合いなら相手から別れ話を切り出される、病気になる、居なくなってしまう。愛するペットが居なくなってしまう。自分の気持ちが逆に相手に対して愛情が冷めてしまう等などのような自他の心と身体の状態が変わってしまった場面に出会うと


愛着がある人 (何時でも自他の心身が変わらないと思い込んでいる人)ほど、強烈に苦しみを感じることになると思われます。


ゆえに
「受、想、行、識の無常性、変化、離貪、滅尽を知り、

昔の受、想、行、識も今の受、想、行、識もそのすべては無常であり、 苦であり、変化の法である〉と、


このようにこれを如実に、正しい慧によって見る者には、
愁い・悲しみ・苦しみ・憂い・悩みというものが捨断されます。」


という結論になるのだと思われます。

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