↑ 前回の続きです。 人間が生活をし、時に余暇を楽しむためには(=人間が持つ眼、耳、鼻、舌、身という感覚器官から喜びを得るためには)、煩わしいリスクを同時に受けなければならないという事の考察が続きます。 パーリ語仏典 中部経典第13 大苦蘊経(mahaa dukkha kh...
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